2018-05-14
スピリチュアルケアと鍼灸

–熊本地震の災害鍼灸活動がきっかけで学ばれた鍼灸とスピリチュアルケアに関する原稿を、
福岡県久留米市の会員である梶原旬矢先生にいただきました–

私は熊本地震において、鍼灸地域支援ネットさんに加わり災害時の鍼灸に携わらさせていただきました。さらにそこでの講習会から「スピリチュアルペイン」や「スピリチュアルケア」といったことを学ぶ機会をいただき、鍼灸治療の技術だけで被災された方に向き合うのは危ういことを知ることができました。

大まかにいうと「スピリチュアルケア」とは、「スピリチュアルペイン(将来の喪失からくる無力感や孤独、自身の存在の無意味や無価値といった苦しみ)」を、和らげ、無くし、軽くするためのケア技術です。

被災された方の多くは、家族や家や仕事を失った無力感や孤独感、さらにはそれまでの人生の意味や価値を見失うといったスピリチュアルペインを抱えています。
それと同時に身体的な症状も抱えていますので、医療者が質問すれば症状を言ってくれますし、本人もそれが自分の困っていることと認識して表現します。しかし、その方が意識の最も根本に抱えているのはスピリチュアルペインであって、どんなに身体を良くしても、無力感や孤独感、喪失した人生の意味や価値が癒やされるわけではないため、治療行為やその結果にすら意味を見出だせない状態にあります。

一方で、医療者の多くは患者さんの身体や病態、治療といった、医療者自身が把握しやすく対処可能なものにしか意識を向けられず、その人が抱えているスピリチュアルペインに気づけないか、たとえそれが分かってもスピリチュアルケアという対応手段を持たないために困惑を覚えたり、やり過ごすことしかできなかったりします。

被災された方が意識の根本で願っている「援助が必要なこと・されたいこと」と、医療者の「援助できること・したいこと」にズレがあるために、治療を行えば行うほどそのズレが広がり、お互いに無力感や孤立感が積み重なり、スピリチュアルペインをさらに深めてしまうという、悪循環に陥る可能性があります。
これが災害時の鍼灸治療の危うさであり、私がスピリチュアルケアを学ぶ理由となりました。

さらに私はスピリチュアルケアを学ぶことで、被災された方と医療者の関係性のズレといった構造は、日常の鍼灸臨床の現場とも通じるものがあるのではないかと気づかされました。

鍼灸院にやってくる患者さんは、既存の医療に不信や不満、不安などといった感情や、身体への心配を持っていることが多く、それに対して鍼灸師が治療の技術や知識だけで抗しようとしては、既存の医療と同じ穴の狢になる可能性があるように思います。
つまり、患者さんが自分の身体の状況を受け入れられず、「どうせ治らない」「こんな身体になってしまった」といった無力感や喪失感といったスピリチュアルペインが根本にあるのに、鍼灸師がそれに気付かなかったり、それに対するケアの方法を知らずに、医療的に正しい知識や治療を押し付けて解決しようとしていないでしょうか。

患者さんのスピリチュアルペインに気付き、寄り添い、支える事が出来ると、お互いに信頼しあいながら、患者さんが自分の身体を捉え直し、治療を納得して受け入れ、健康への第一歩を共に踏み出すことができるように思えます。

「スピリチュアルケア」とは宗教でもオカルトでもない、きちんとした学習により得ることができる対人援助の技術です。
鍼灸師は時間をかけて身体に触れ、会話することができる職業であり、患者さんの身体を変える鍼灸治療と、意識に寄り添うスピリチュアルケアを行うことができれば、より高いレベルでの患者さんの援助を行うことができるのではないかと、今は考えています。

 

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