2018-06-19
福島に生きる2

福島に生きる 2

 震災やボランティアに関連して、大変興味深く感じたことをいくつかご紹介させていただきます。
鈴木先生とお話ししていて、「病」「障害」について、「ああ、なるほど!」と感じたことを。
先生はいろいろな障害をお持ちの子ども達の治療もされてきたのですが、「障がいを持つ子が、養護学校から普通の学校、支援学級から普通のクラスに移ることが、必ずしも幸せとは限らないんですよ」とおっしゃった。
治療すると、知能指数が上がっちゃうので、それで普通のクラスの方に移るんですけど…と。
親は喜びますよ。でも-
「暴力的・多動・友達ゼロ、という3つが揃っていると、子どもは結局不登校になり、親も潰れてしまいます」と。
「学校は、親が子どもをより良くするために入れている」だから、「暴力的な子どもだったり、多動で授業の邪魔をしたりする子は受け入れてもらえない」
周囲の理解とは言っても、それは難しい。理由もなく殴ってくる子と親が関わらせない。約束を平気ですっぽかすとか常識的な行動が出来ない子どもを、子ども達が友人として受け入れるのは困難だ。
でも、と先生は非常に興味深いことをおっしゃった。
「これを食べれば今の障害がなくなってしまう果実があるとしたら、それを食べますか? と聞いても、6割の障害児は食べないと答える」という。
つまり、人間は、「それが良いものであれ悪いものであれ、身に備わった‘もの’を手放すことが怖い」のだと。
鈴木先生自身、それを無意識にしろ「こういうことか!」と実感された経験がおありになる。それは、他県の方と何気ない会話をしたとき(新幹線の中で隣に座った大阪人など)、どちらから? と聞かれて「福島県です」と答えると、「ああ、大変でしたねぇ!」とものすごく同情され続けてきた。それが、年数が経って、あまり反応されなくなってきたとき、どこか寂しさを感じてしまっていることに気づき、「ああ、これがそういうことか」とハッとされたのだとか。
福島・はり・接骨・快生堂 それから、こんなこともおっしゃった。
「恨みを抱いた人間から、ヒトは離れていく」と。
恨み―。
これは、病に関することばかりでなくて、結局、人災と言われた原発事故に関してもそうであり、つまり、恨みを抱き続けるとは、自らは被害者であると暗示を入れ続けることであり、それは誰にとってもとても悲しいことではないかと感じた。悲しい場所に、つらい場所に、永遠に留まり続ける。その痛みと苦しみを永遠に味わい続ける。
もう、前に進もう、と鈴木先生はおっしゃりたいのだと思った。過去は変えられない。人は変えられない。変えられるのは今これからと自分だけだから。

震災のまさに当日は、どこで何をしていらっしゃいましたか?
という質問には。
「ここにいました。患者さんを一人終えて―」
とにかく長い揺れだったと先生はおっしゃった。治療院の壁にひびが入っていくのが見えて、道路が割れていくのが見えていた、と。
揺れのすさまじさを目の当たりにされたのだと思った。
そして、引き起こされた原発の全電源喪失という闇の数日間。フクシマ・フィフティが日本を守るために死闘を開始した瞬間だったのだろう。

それから、障害者をこれほど多く診ていらっしゃる先生は周囲にはいらっしゃらないので、ものすごく刺激的かつ「おお!」と感嘆の連続のお話しをいただき、遂には興奮して、図々しくも「臨床テータ資料をください」とお願いした。
すると、大変快くメール添付にて、ほんとうにほんとうに貴重な臨床データを送っていただきました。
ザッと目を通させていただいてみて分かったのは、お話しいただいて「ほおおお」と感嘆したことがすべてこの資料に書かれている、ということ。
ご興味のある先生は、どうぞご覧になり、追試されてみてください。ただ、鈴木先生は病院の先生と懇意にされていることもあり、漢方を併用されているので、その辺は参考としてご覧になっていただければと思います。(藤沼)

 

◆鈴木暢弘先生臨床データ資料

福島・改生堂看板

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