2018-07-17
7年目の大船渡 オマケ編

 

    岩手県紫波郡
ありす鍼灸治療院  藤沼 敦子

 大船渡病院をお尋ねする道中のことである。山野目先生とのお約束は午後14時半だったのだが、お昼前には大船渡市内に到着し、病院のだいたいの場所を確認したので、せっかく海辺に来たのだから海を見なくては! という壮大な決意のもと、大船渡と言えば『碁石海岸』であろう、ということになった。
1年目の3・11も同じ場所に立ったが、6月29日(金)も、浜が沈んで海が迫っている海岸へ向かった。
その道中、「おや?」というものが目に留まった。東日本大震災の文字の入った黒い碑。内容は分からずとも、ここまで波が来ました、という標であろうことだけは咄嗟に理解した。傍に寄って確認したかったが、道路わきに停めては他の車が迷惑するだろうし、何より、その碑の建っている土地の畑で作業している方がいらして、「なんや、こいつ」になってしまうだろう、と。少し進んだ先にスペースを見つけて、そこへ停車。
大船渡の畑 車を下りて畑でジャガイモの収穫をしていた女性に声を掛けてみた。
「あそこに黒い碑が建ってますが、あそこまで波が来たってことですか?」
「そうそう、この辺りまできたよ」とその方が立っている場所を指す。
「あの堤防もすごく高いですが、これは、最近高くなったんですか?」
「ああ、防潮堤ね。前は半分くらい…6mくらいだったかな。今は倍の高さになって…」
そして、おっしゃった。
「その上を波が越えてきたんだよ」
「そうだったんですね。海があんまり見えなくなりましたね」
「前はもっと海が見えていたんだけどね」
ありがとうございました、と碑の写真を撮って、車へ戻る途中、少し下の反対側の畑で作業しているまた別の方々にもお話しをうかがった。
「ここまで波が来たんですね」
「この上の家の障子の下の部分まで波が来たんだよ」
「じゃ、畑も一度潮水に浸かったんですね。土を洗い流したりとかしたんですか?」
「石灰を撒いた」
「ああ、石灰。それで、今はこんな立派な畑になっているんですね」
にこにこと頷く男性。
「あの家がご自宅ですか?」
「いや、この下(畑より下側の空き地を指して)にあったけど、流された」
「え、じゃあ、今はどちらにお住まいなんですか?」
「もっと上の方に家を建てたんだ」
「そうだったんですか。ご家族はご無事だったんですか?」
「うん」
(聞いてから、しまった! と身構えていたので、無事を聞いて安堵!)
「誰かご近所で亡くなった方とかはいらしたんですか?」
「奥の家のおばあさんが、逃げろ! って言ったんだけど、年寄りで耳が遠かったからね、聞こえなかったんだろうな」
「そうですか…逃げなかったんですね。ここまで来ると思わなかったんでしょうね」
「明治の津波で大丈夫だったから…」
前の津波で大丈夫だったから。ああ、まただ。
一緒に作業をしていらしたもう一人の方が下の軽トラックの辺りにいらしたので、その方にも声を掛けた。
「そこに家があって、店もあった。あの辺りに」と、道路の反対側を指して教えてくださった。
「この辺りで二人死んだ。…年よりだったからね」
以前の津波で大丈夫だったからと、逃げなかったということだろうか。
大船渡の人々1 ありがとうございました、と写真を撮らせていただいて、そこを後にした。

そして、碁石海岸到着。
雲はあるけど清々しく青空が広がって、潮の香りがして、穏やかでキラキラした海が岩に白いしぶきをあげている。
心洗われる清らかな光景だ。
‘自然’ってほんとうに不思議だけど、別に自然はヒトを驚かそうとか痛めつけようとか、或いは慰めてくれようとしているわけではなく、ただ、そこに在るんだろう。
船で何か作業をされている方を見つけてまたまた声を掛けた。天然の生簀のようなことをやっているらしく、船にくっつけた籠に魚を入れている。そして、船の中に海水をいれた場所があって、そこから魚を取りだして手籠(というのだろうか?)に魚を移して持ってきた。
「震災で船は流されなかったですか?」
「流されたのさ。漁協の保険で買ったんだ」
「あ、これは新しい船ですね?」
「この辺のはみんな新しいのだよ」
釣ってきた魚は自家用、ヒガレイとアイナメ。
「ご自宅は大丈夫でしたか?」
「うん、家は大丈夫」と上の方を指さされたので、高台の方にあるようだ。
捨ててあった魚を見つけて「これ、フグですか?」と聞くと「そう、これはフグだから、要らない」
「毒がありますもんね」
「内臓を取れば良いんだけど、資格(免許って言ったかな?)がないから」
「ああ、そうですよねぇ」
「お昼で、今からご自宅に戻るんですね?」
「うん」
と、その方は可愛い笑顔で頷かれた。

大船渡の碁石海岸 その後、その浜を後にしようとしたとき、若者3人が車から降りたった。
「釣りに来たの?」
「いえ、ただ見に」
「ああ。県内の人? 内陸?」
「盛岡です」
見にきた、とは。やはり震災の復興を気に掛けているんだろうな、ということがなんだか嬉しかった。3人は浜へ下りて楽しそうだった。なんだか、心があったかくなった。

 

 

それから! である。
どんだけ暇なんじゃろうか。
先ほどの防潮堤のところに戻ったら、奇妙な階段を見つけた。先のない階段。防潮堤の半分ほどの高さまであって、唐突に途切れている。これは、防潮堤が継ぎ足された証拠であろう。すると、その近くを自転車で通りかかった方がいて、すかさず「こんにちは~」。
その方は、急ブレーキ(?)で止まって戻ってきてくれる。
大船渡の碁石海岸2「あの階段って、前の防潮堤のものですよね?」
「そうそう」
「まだそのままなんですね」
「津波が越えてきてね。あそこに工場があるけど、そこの自宅は6mの防潮堤を超えて海に流されたんだよ」
「へええええっ!」
そして、新たな防潮堤の階段を指して「これ、登っても良いですか?」と聞くと。
「ああ」とその方は心配そうに「登っても良いけど、あんまり、こう…端まで行かないように」とご注意くださった。「写真撮らせていただいても良いですか」
「いやいやいや、写真はダメ。俺はその…」
「そんなぁ、せっかく男前じゃないですか!」
「いやいやいや、ダメダメ。照れるから」
漁師さんだろうなぁ。真黒に日焼けして、自転車にまたがると、防潮堤の水門をくぐって港の方へ行ってしまった。

 

大船渡の人々2

 

 

 

 

 

 

 

大船渡の碁石海岸4大船渡の碁石海岸3

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