鍼灸地域支援ネット 浜野浩一
2019年10月の台風19号は東日本に大きな被害をもたらした。最も人的被害が大きかったのは福島県で死者30名、次いで宮城県で死者19名。宮城は特に阿武隈川支流14か所で決壊が起きた丸森町の被害が大きく、その様子は連日ニュースでも報道されていた。
発災10日が経過した22日、ニーズ調査のため、当会の日比泰広(滋賀県)と私(東京都)が福島入りし、県北と県中・県南の二手に分かれて情報収集を行った。9時20分、県北を受け持った私がまず向かったのは福島市。そこで地元鍼灸師のKさんと合流し、東日本大震災の被災者・避難者支援活動を一緒にさせていただいている地元団体を訪ね、情報提供を受ける。それによると、隣接する宮城県丸森町の被害がやはり甚大とのこと。早速、丸森社協と町の保健福祉課に連絡し、アポを取る。
丸森へ入る道路は各所で寸断されており、迂回して太平洋側の新地町を経由するルートをとることにした。途中、新地町のニーズも調査できるだろう。
11時30分、朝から続く雨の中、新地町社会福祉協議会に到着。だが、なぜか誰もいない。平日なのに? アポなしだったから仕方ないか。以前、鍼灸ボランティアで訪れた被災高齢者住宅の様子が気がかりで、担当職員に電話連絡をとろうとしたが、これも応答なし。社協に隣接する図書館に来ていた住民に話を聞くと、20日に断水が復旧し、町の生活は落ち着ているということだった。社協での情報収集は断念し、丸森へ向かう。雨足が強くなってきているので、急いだほうがよさそうだ。
福島から丸森に入る主要道路で唯一生きていた113号線を走る。雨は勢いを増す一方で、道路が川のようになっているところがある。山間の道なので、土砂が崩れてこないかと、それも気にかかる。運転してくれているKさんも、気が気でなかったに違いない。何度かすれ違った丸森からの対向車は、どれもものすごいスピードで、まるで何かから逃げるかのように消えていった。
13時、丸森町役場到着。保健福祉課でアポのあることを告げ、担当者を待つ。が、なかなか現れない。非常時の多忙な中、時間を割いていただくのだから、待たされるぐらいは当たり前、と腹はくくってあたりを見回すと、DMATのビブスを来た人たちが数名、課内の一角を陣取って、あわただしく働いておられるのが目に入った。発災から一週間以上が経過しているが、まだまだ災害急性期、ということか。しばらくして現れた職員から、避難所の状況と今後の見通しについて説明を受ける。現在はまだ医療ニーズ優先なので、鍼灸マッサージの介入はもう少し後、一か月後ぐらいからにしてほしいということだった。私たちは、応対いただいた礼を言い、避難所で鍼灸マッサージ・ボランティアが必要になった際は連絡いただければ駆け付けます、と名刺をお渡しして失礼した。後からわかったが、実はこの時点で既に鍼灸師会が役場と調整中だったし、AMDAの鍼灸師の介入も決まっていたようである。私たちに応対してくださった方は、自分は外部からの応援職員だと言っておられたが、そのため他団体との調整状況を把握しておられなかったのかもしれない。
14時、丸森社会福祉協議会を訪ねる。応対された女性職員に訪問意図を申し上げると、切羽詰まった様子で窮状を話してくださった。事務所も浸水して、これから移転しなければならない中で業務に追われていて休みがない、自宅が床上浸水してずっと風呂にも入れていない、体調も悪い、片付けのボランティアの人たちも毎日へとへとになっているので何とかしてあげたい……。電気も点いていない薄暗い建物の入り口で、彼女は立ったまま、私たちに矢継ぎ早に訴え続けた。その口調は事務的といっていいぐらいの冷静なトーンだったが、それがかえって疲労を物語っているようにも思えた。私たちの心を動かすには充分だった。必ず支援に入るから、とその場でお約束申し上げ、辞去した。
14時30分、帰路につく。幸い、雨は小降りになっている。携帯が鳴った。先ほど応対してくださった保険課の職員だった。「ひとつ確認したいんですが、来ていただける場合は、無料ですか?」 「もちろんです。」「費用とかは?」「一切、ご負担いただくことはありません。」ボランティア団体から費用を請求されるケースがあるのだろうか???
その後、丸森で鍼灸院を開いている知人Sさんのことが気にかかり、連絡をとってみたところ、ご自宅が浸水被害を受けておられた。被災されているにもかかわらず、有志を集めてボランティア活動をされるというので、鍼灸師会やこちらの動向をお知らせした。宮城県鍼灸師会とも連絡を取り合い、避難所の方は両チームにお任せし、私たちはもっぱら支援者支援活動を行うこと、必要に応じて情報を共有し、連絡を取り合うこととした。
こうして11月から丸森ボランティアセンターで、社協職員とボランティアを対象に、鍼灸マッサージを行うことになった。日程は社協と協議した結果、月1回、日曜日の11時から16時、3月まで、期間は3月までとし、その時点で状況を見て撤収か延長か検討する、と決まった。実際にはコロナ禍のために2月が最後の活動となったが、4回の活動での49名が受療してくださった。施術には、東京から参加の私以外は、宮城・福島の先生方に来ていただき、のべ11名が参加した。2月の活動にはS氏も参加された。
施術場所はボランティアセンター内に設置された社協事務所の一角をお借りした。ポータブルベッド二台の他、石油ストーブ、湯たんぽ用の湯を沸かすためのカセットコンロなどを持ちこんだ。
各回の活動報告は当会のフェイスブックに掲載しているので、そちらもご参照いただきたい。一部内容は重複するが、以下、感想を述べる。
受療された方の中には、県内外の他の自治体から応援に来ている職員や、遠方から来て長期滞在型で活動されているボランティアの方も少なからずおられた。何週間も寝袋生活を続けている方。家族と離れて単身赴任で食事が偏っている方。「活動中は人前で休憩するのも気を遣うが、施術を受けている間は人目を気にせずに横になれるからありがたい」と言う方もおられた。思えばここではすべての方があれやこれやの肉体的・精神的ストレスを受けながらも、被災者の力になろうと休日返上で頑張っておられるのである。そんな皆さんの喜びや苦労の一端を聞いて差し上げること、そしてきっと明日も笑顔でご活躍くださいと祈りつつ、多少なりともお心とお体が楽になるようお力添えして差し上げること、それが今回の私たちの役目だったなァと今、振り返ると、そう思えるのである。