2020-12-04
令和元年東日本台風・被災者として、支援者として、そしてこれから

「令和元年東日本台風・被災者として、支援者として、そしてこれから」

曽我清一(宮城県丸森町・らくらく治療院院長)

 10月12日の夜、丸森町で花火が上げられた。
 あれから一年。仮設住宅から見る花火。
 一年前、夕飯を食べて治療院に残務整理のため向かったのが19:30。21:30ごろ、家に帰ろうとしたが、どの道も川のよう。あっという間の浸水。阿武隈川の水位をリアルタイムで見ながら落ち着かなかったが、24時過ぎに治療院で寝た。朝、目が覚めて家に帰ろうとしたが、200mくらい行ったところで水が…。家まで約1km。ここまで水が…。深いところでは、1階天井まで浸水したそうだ。それから3日間水が引かなかった。水が引いて自宅に行ってみると、床上1mくらいのところに水跡が…。

被災直後は、皆さん混乱し避難所の出入りも慌ただしい。医療系ボランティアや復旧ボランティア、自衛隊の方々もいて、役場職員の方々も混乱している。
 まず、私ができることを考えた。東日本大震災の時の経験もあり、すぐに鍼灸マッサージボランティアをするため仲間に連絡すると、応援に行きたいとの声が沢山集まった。
 少し落ち着いた約2週間後から施術ボランティアを始めたが、最初に向かったのは被害の大きかった丸森町の北隣の角田市の避難所。翌週から丸森町の3か所の避難所で施術ボランティアを始めた。
 施術ボランティアは、仲間の休みの多い毎週日曜日の午後に行った。また、丸森町の南隣の福島県伊達市梁川でも行った。一度の施術ボランティアで10名前後の仲間が集まった。有難い。
 施術ボランティアをしているといつもそうだが、こちらが被災者から元気をもらう。もちろん被災者からは、皆さん「体も心も楽になった」「良かった」「ありがとう」という嬉しい言葉を頂く。いずれにせよ、鍼灸マッサージボランティアは、多くの人に好意的に受入れられ、鍼治療未経験の人でも1回体験すると2回目以降もお願いされる。

 残念だったのは、若い人は被災した自宅を片付けに行くため、明るいうちは避難所に戻らないということだ。主に施術した人は、高齢者と避難所にいるボランティアスタッフ、そして役場の職員に対しても鍼灸マッサージを行った。
 ボランティアスタッフや役場の職員は遠慮していたが、連日避難所に寝泊まりし、24時間体制で働いていたので、こちらから声を掛けて鍼灸マッサージを受けて頂いた。
 また、私の親戚にネイリストがいるので、同じ避難所で簡単な爪磨きをして頂いたが、お年寄りにもとても好評でした。
 施術ボランティア活動にあたって、鍼など必要な道具や、タオル類などは、鍼灸販売業者や、知り合いの染め物屋さんから提供して頂いた。有難い。
 12月末に仮設住宅が完成したので、施術ボランティア活動も終了した。
 また、鍼灸地域支援ネットも被災地に入り、主にボランティアセンターで、丸森町社会福祉協議会、ボランティアスタッフの人達のために施術を行い、私も2回参加した。

 残念ながら新型コロナの影響のため、活動は2月で終了した。
 災害支援で一番大変なのは、ボランティアセンターです。様々な人が押し掛けます。
 たいていのスタッフは災害の経験はないので、施術者の受け入れなど運営に四苦八苦する。そこで施術ボランティア活動をするのに大事なのは、スタッフの気持ちを理解したこちらの対応です。ボランティアセンターには、メディカル系以外の民間資格の施術者も多く訪れます。皆、勝手に自分達の都合で活動していた。今後、災害の現場では、事故や問題が起こる前に、ボランティア経験のある国家資格を保持している我々が先導していく必要がある。
                     (2020年10月)

▲このページの先頭へ